こんなに早く「その2)」を書くはずじゃなかったけど、まあいいか。
話は2000年の秋に飛ぶ。アルバム『Innocent
Bossa in the mirror』の仕上げに、僕はまたニューヨークに来ていた。
変調の兆しは機中からあった・・・僕はトランペット吹きから出発した人間で、今でも、そしてこれからも現役でありたいと思ってる。だから芸能人じゃなくても歯は命(ちょっと古過ぎるか)。
近所のW先生の丁寧な指導に従って、ウォータピック、電動歯ブラシ、歯間ブラシ、ポイントブラシ、デンタルフロスという全15分くらいの歯磨きノルマを、毎食後こなしてきた。10数年前にそれを始めた時には、それまでの不摂生の償いをする羽目になったけれども、それ以来虫歯や歯周病は無い。ちょっとだけ自慢できる。
ところが、ニューヨークに向かう機中で、右下顎一番奥の歯の辺りに圧痛を感じた。
「磨き過ぎて、歯茎に傷付けちゃったかなあ?」と思うことにして放置。冷たい物が沁みるようにもなってきたけど、到着後はスタジオに直行した。
数週間振りに会うアート・リンゼイは、やけに清々しく僕を迎えてくれた。この日はマリアンネ嬢の唄録り。でも力が入り過ぎてて少々難航。根気よくお付き合いしたけど、結果的には没テイクになってしまった。可愛い娘だったのになあ。晴れた日に出会った人魚みたいだった。でも、代わりにアートが実にしみじみした味の鼻歌、いや失礼、ボサノバを唄ってくれて落着。
「良かったー」なんて温かいお茶を飲んだら、妙に沁みる。唄もシミルけど、歯はもっと沁みる。翌日の録音でも、そして日を追うごとに、痛みはゴーンと音がするような迫力を伴ってきた。
収録を無事終えて、明日からドナルド・フェイゲンのスタジオ(River Sound)でミックスという夜、チャイナタウンのHOP-KEEというレストランに行った。18歳の時師匠(註:日野皓正氏)に連れて来てもらって以来、一度はここで食べないとニューヨークに来た気がしない。
だが、好物のチャイニーズ・ブロッコリーのオイスターソース炒めを頬ばった途端、痛みは急激に沸点に達した。こんなに旨いのに。同席した人達の手前、「涙目で食べる人」くらいに装ったけど、失禁してもおかしくないくらいの痛さだ・・・。
さすがに尋常じゃないのを感じた僕は、W先生に国際電話して指示を仰いだ。すると、
「三宅さんは奥歯を食いしばる癖があるから、長い間の刺激で神経がダメになっちゃったんだと思います。できるだけ刺激を避けて、そこを使わないようにして帰ってきて、日本で治療して下さい。そっちでは保険も効かないですから」
との事・・・うまくできるといいけど。
翌日アートに歯の話をすると、話半ばで、
「あーそれね?知ってる、知り過ぎてる。“Root Canal”だよ。ほっといたって絶対良くはならない」
・・・Root(歯根の)、Canal(導管)。うん、患部としては何かW先生の指摘通りだなと思い、詳しく訊くと、やはり神経が死んじゃうってことらしい。アートは3年で7本もそれをやったんだそうで、経験値としては信用に足りる。そういえば、小さい頃しゃがんでいた友達が急に立ち上がって顎を直撃された事があって、その後遺症で20歳過ぎてから神経をやられた経験がある。わっ、思い出した!豆腐を食べても失神しそうな痛みだったぞ!
「で、どうやって治したの? 痛かった?」
「痛いさ。でも歯医者にさえ行っちゃえば、口開けて耳塞いで寝てるだけだけどね」
そんなこと当たり前なんだけど、今は何だかすごく気持ち良さそうに聞こえる。
「このままで良いか、診てもらったらどう?」
と言われて、結局アート推薦のDr.Bergerのもとに急行した。
グレッグ・カルビのいたSterling Sound(※註1)からそう遠くないロケーション(「電気屋のネズミ」を思い出してちょっとビビル)、院内には賞状が沢山掛かっていて、なかなか信用できそうである。
ナイスボディの看護婦さん・スーザンが応対に出て、
「あ、あなたのこと訊いてるわ。ツライでしょ? 横になってね」なんてイイ感じ。
程なく60歳代位の白髪の紳士、Dr.Bergerが登場。
「で、どうしました?・・・なるほど、まずレントゲンだね。スーザン!」
「はーい先生。でも私、もう18時なので帰らせて頂きまーす」
「んっそうか、OK」
・・・当然他の看護婦さんが看てくれるのかと思いきや、オフィスはシーンとしてしまった。
「じゃ、そこの引き出しから放射線避けのマット出して」
「えっ?」
「ほら!」
「は、はい」
ちょっと前時代的なずっしり重いやつ。
「それをかけて」
「はい」
「・・・よし終わり。それ畳んで元の引き出しに」
「えっ?」
「ほら!」
「は、はい」
いつのまにか助手も兼ねてる。意外と従順なんだな、オレ。
現像を待つ間、治療同意書に目を通しながら、「ここで死んじゃったら、今回のアルバムは誰にも知られずに迷宮入りするんだ」なんて心細くなるが、「今日は話を訊きに来ただけ」と思い直す。
「三宅さん、レントゲンで見ると、君の神経イッちゃってるね」
「そうですか・・・。で、どうすれば?」
「今から患部の特定をしてみるから」
「それはもう判ってるんじゃあ?」
「いや、君がそう思ってるだけかもしれない」
「そんなことないです。レントゲンでも判ったんじゃあ?」
「ん? テストするよ」
と言うなり、金属の治療具の柄の部分で、患部から一番遠い歯から患部に向かってカンカン叩き始めた。もう判ってるのに勘弁してくれ。
来た来た来た来た・・・「いたっ!」
「ふんふん、そこね。じゃ次はこれ」
と言って、今度は金魚なら瞬間冷凍できそうな冷却スプレーを持ってきた。
またしても患部から一番遠い歯から責めてくる。そんな先生の顔を見てると、マスクの上の目が少し潤んでる。
まさか!
「こんなシーン、どっかで観たような・・・『マラソンマン』(※註2)だ!いたた!」
「やっぱりそこね・・・念には念を入れてと」
今度は、何やらダイヤルの付いた電気器具を取り出した。
「これを歯に付けて、自分で痛いと思うところまでダイアルを回して」
・・・何と、電気ショックか!何故か大人しく従うオレ。でも一向に何も感じない。
「先生、僕やっぱり悪くなさそうです」
「そんなバカな。ああ、これ壊れてた。はい、こっちの新しいので私がやる」
「ぎゃーーー!!」
この瞬間、僕は5cm以上飛び上がった。W先生に約束した「刺激を避けて、そこを使わない計画」は遠い日の話になってしまった。そう思ったら、
「もう何とでもしてくれ!!(このS!ネオナチ!)」
と自分の意志とは無関係に叫んでいた(カッコ内省略)。
叫んでみたら、不思議とすっかりそんな気になった。
「はい、イイのね? じゃ、これ持って」
「?」
・・・見ると、いつもなら看護婦さんが口に入れてくれる、鈎型に曲がってて、空気や水が出てくる器具と、吸引器具を握っている。
「これを自分で、ですか?」
「他に誰かいるかい?」
「・・・イ、イマフェン」
「行くよ」
キーーーン!
顔を見ると、マスクの上の目がすこし潤んでる。やっぱりだ。
「痛くないだろ?もう神経が死んでるからね。死ぬと生物はガスを出す。だから臭いでRoot
Canalかどうか判るんだ。ウッ、これこれ。もう一度確認、ウッ」
こいつ確認マニアか、一人SMか? 何でもいいから思う存分やってくれ!
「このガスが、暖かいものを食べると膨張して歯根を圧迫するわけ」
「はぁ・・・納得」
・・・そして僕の歯は、舌先で触れると元の1/4くらいに感じるほど削り込まれていた。何だかMな1日。
結果的にDr.Bergerは仕事の速い良い先生で、面倒な作業を2回で完璧に済ませてくれた。
肝心のアルバムの方も、僕が治療してる間はアートがいつになく几帳面にミックスのチェックをしてくれたおかげで、とても良いものが出来た。予定よりも早く全ての作業が終わったくらいだった。ラッパの練習をさぼることもなく、またしてもこざっぱりと仕事は済んだのだ。アーメン。
それにしても、治療後にもらった鎮痛剤のキツかったこと。膝がクニャクニャになって反対側に曲がるんじゃないかと思うほど効いた。
そんな訳で、ニューヨークでは膝が笑うような出来事が何かと起こりがちなのである。
じゃいずれ、「その3)」もね。 |