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Jun
Miyake / article on JAZZTHETIK
多彩なコンセプト、ジャンル、アイデアの融合・極上センスのワールドミュージック
彼はトランペッターとして東京で学び、ロン・カーター、マイケル・ブレッカー、ヴィクター・ベイリー、ボビー・ブルーム、ハル・ウィルナー、アート・リンゼイ、そしてマーク・リボー等と共演した。しかし我々はこの日本人について、それ以上の事は今まで殆ど知らなかった。
この状況が変わるであろう、彼の『Mondo Erotica』ヨーロッパデビューに感謝。
'76から'80まで三宅氏はバークリー音楽大学(ボストン)に通った。彼がそこでスタート出来るまで、それは険しい道のりだった。
「父は僕にアカデミックな進路を取ることを望んでいて、僕が音楽家になることは絶対に反対でした。父はドイツで学んだ化学者で、音楽よりむしろ静寂を愛していました(人生の終盤になってクラシックだけは聴く様にはなりましたが)。17歳のある日、僕は全ての勇気を振り絞ってトランペッター日野晧正氏を訪ねました。彼の前でオーディションするためです。彼は僕に、絶対にアメリカに行ってバークリーで学び、きちんとしたジャズミュージシャン達と共に演奏するべきだ、と言ってくれました。日野氏は僕の両親と何回か話し合いを持ち、僕が渡米することの必要性を説き、当面は彼のN.Y.の家に滞在させてもいいから、と説得してくれたのです」
と、三宅氏はプロの音楽家になるに至ったきっかけを記述し、そして補足している。
「日野氏の存在は僕のジャズ人生に多大な影響を与えています。もしかしたら、僕の初期のトランペットは彼のスタイルを想起させるかもしれません。しかし、後に僕はその影響下から逃れたい、もっと言えば全てのジャズの呪縛から開放されたいと思ったんです」
彼は音楽家になるべく、まずバークリーで4年間みっちり勉強した。彼は新しい文化と初めて知り合い、見知らぬ食事に慣れ、人脈を広げることになった。
「僕にとって、かつてジャズが発生した場所に居ることは最高でした。ボストンでの初めての夜、僕はあるジャズクラブに行きました。その夜、そこではジャズではなくてアフリカのファンクバンドが演奏していたんです。でも僕は構わずそのバンドに飛び入りで参加しました。それで意気投合した結果、一緒にツアーに出ないかと誘われました。一人の日本人がアフリカ人の様に色とりどりに着飾ってアフロ・ファンクバンドにいることは、外から見れば間違い無く可笑しく見えたと思います。でもツアーは信じられないくらい楽しい経験でした。これはバークリーの新学期が始まる前の事です。僕はその後も度々いろんなクラブに行って、たくさんライヴを観て、機会を見つけては飛び入りして腕を磨きました、スティーヴ・グロスマンなどとも一緒に演りましたね。バークリーでの僕の先生はLou
Mucci氏で、彼からは演奏技術の基本と譜面の読み方を教わりました」
そして故郷日本への帰国の後、彼は'80年代のフュージョンジャズを好んだTDKレコードで2枚のアルバムを録音する機会に恵まれる。
「フュージョンは僕の目指すこととは違いましたけど、演奏家としての経験しかなかった僕に、レコード会社は作曲とアレンジを任せてくれましたし、2ndアルバム『Especially Sexy』ではアメリカのミュージシャン(アル・フォスター、マイケル・ブレッカー、デヴィッド・サンボーン、ロン・カーター、ダリル・ジョーンズ等)と共演もさせてくれました」
三宅氏がアメリカから東京へ戻ることを決めた頃、『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』('81年発表)でマイルス・デイヴィスの復帰が明らかになった。彼は帰国する前にリンカーン・センターで行われたマイルスの復帰ライヴを観たが、マイルスのカムバックがジャズの新しい未来を提示しなかったことはショックであったという。この時、彼にとって“様式としてのジャズ”は終わったのだ。そして一体どんな音楽を演奏するべきか、初め彼は分からなかった。だがしばらくして、彼はCM音楽にその活路を見出した。TV-CMは'80年代の日本ではとても創造的であり、ミュージシャンにとって良い収入源でもあった。映像面では石岡瑛子の様なクリエイターが斬新なアイデアを発信していた。
「それらの映像を見た時、僕はジャズの精神に近い何かが、別の形で表現されているのを感じ、興奮しました・・・そして、僕の1stアルバム『June Night Love』の中の1曲が、アンディ・ウォーホールの出演するTDKのCMに使われるという幸運に恵まれ、その成功によって、僕は実験的な仕事を始めるチャンスを掴みました。CM音楽を書き続けることによって、世界中の様々な音楽様式を混ぜ、日本的美学でバランスを取るという、後日僕の創造性の根源になる手法もまた開発されました。表現の制約が全く無かった良い時代の後、コマーシャル産業は再び大変保守的になってしまいました。相変わらずその仕事は続けていますが、本音のところ良い時代だったあの頃がとても懐かしいです」
と、三宅氏は彼の東京のプロミュージシャンとしての変遷を語った。
'80年代の東京には多くのクラブがあり、そしてN.Y.の様に素晴らしく教育されたミュージシャンがいる興味深いジャズシーンであると言われていた。しかし彼らは創造者であったであろうか?
「Yes&No。間違いなくこの頃のシーンは活動的でしたが、彼らが創造者であったとはあえて僕は言いたくありません」
確かに、大友良英の様に何人かの前衛芸術家は出てきたし、山下洋輔は正に自由なパワージャズだ。しかし何かが起きたとしても、振り返れば大平洋の向こうで起きた意味の無い出来事であったかもしれない。音楽家は有能であるにも関わらず家内工業的であったが、東京ではブルーノートやピットインの様なクラブが健闘し、その間いくらかの変化を遂げた。そんな中で、三宅氏はいずれにせよ純粋なジャズを超越していった。彼はフランスのシャンソンをはじめ、アラブ、インド、ボサ、タンゴそしてクルドなどの音楽に興味を持ち、吸収した。彼は彼自身の先生であった。結果、彼はクリエイティブで独創的な世界的音楽家となった。
そんな中、彼は友人ピーター・シェラーを介して、ハル・ウィルナーと出会った。三宅氏はハルに録り溜めた曲を聴かせた。
ハルは三宅氏の音楽について、
「僕がニーノ・ロータやウォルト・ディズニー、そしてクルト・ワイルらのレコードをプロデュースした時の様に、三宅の作品にノックアウトされた」と言う。
「三宅の作曲は洗練されて複雑であるが、決してお高くとまることなく、美しさに溢れていながらユーモアのセンスを忘れていない」
その様な賛辞に留まらず、彼らは一緒にスタジオに入り、そしてハルが共同プロデュースした4枚目のソロアルバム『星ノ珠ノ緒
/ Entropathy』に繋がった。'93年、N.Y.での追加レコーディングが行われることになり、ハルはそこにアート・リンゼイやマーク・リボー等を集めた。三宅氏とアートとの友情が深まったのはそれからである。
「アートは『星ノ珠ノ緒』の時はミュージシャンの一人として参加しただけでしたが、それ以降も僕達は互いに訪問し合いました。その後時を経て、それは共同アルバム『Innocent Bossa』のコンセプトに発展することになります。このアルバムでは、僕が曲を書き、アートが詞を書いて、その上でアートが歌い、クレージーなギターを演奏しました」
他の2枚のアルバム、『Glam Exotica!』そして『Mondo Erotica!』では、三宅氏は多種多様なエキゾチシズムとエロチシズムを探究し、それをまとめあげた。その後、彼はアート・リンゼイと「イノセンス」というテーマに取り組むことになる。単なる模倣ではなくて、鏡の中に映った様な、独自の解釈でボサノヴァ・アルバムを作ろうと。その裏にある考えとして、三宅氏はこう言っている。
「ポルトガル語を話せないし、歌えもしない。ギターも弾けないし、ブラジル音楽の専門家でもない、混血音楽を作り続けてきた僕が、ボサノヴァを題材にするのは変に思われるかも知れませんが、イノセンスを表現するにあたって、ボサノヴァの音楽形式を借りるのは悪くない様に思えました。でもそれには僕の屈折した音楽性を理解し、ポルトガル語で歌えるイノセントな歌手が必要でした。もちろんそれがアートだった訳です。幸運にも、アートはギタリストのヴィニシウス・カントゥアーリア(何てイノセントなミュージシャンなんでしょう!)を東京でのレコーディングに連れて来てくれました。我々の共同作業は、まるで異なった文化の使節が一人のミューゼの女神にキスする様でした」
実際、このアルバム『Innocent Bossa in
the mirror』は、東京とN.Y.の同時代的な音楽であると共に、ブラジリアン・メランコリーとの壮大な融合である。収録された10曲は鳥肌が立つような感性で溢れ、アートが彼自身のアルバムで始めたブラジル音楽の優れた発展形とも言える。
現在ドイツで入手可能なものとして、それに勝るとも劣らない完成度のアルバム、『Mondo
Erotica!』がある。このアルバムが日本からヨーロッパへの話題の作品として評価されることを筆者は望んでいる。既成の枠に捉われない、全く独自の音の宇宙を集めた三宅純。とりわけコシミハル、Sublimeの様な歌手の参加は要注目で、日本にいる両人は彼らの非常に独自な声と個性的な音楽で知られている。コシミハルは'80年代前半に、テクノポップのマイスター細野晴臣に見出され、彼のレーベルに在籍、今日彼らは共にDaisy
World Recordsを主宰している。コシミハルは日本人にとってフランスのイメージに繋がる・・・いつもエレガントに着飾り、突飛なステージを愛し、秘密めいていて・・・。
「僕はそのエロチックなイメージからコシミハルを、そして挑発的な歌い方からSublimeをこのアルバムに抜擢しました」
この二人の女性ヴォーカリストを起用したセンスの先に、『Mondo
Erotica!』の方向性はある。ここに三宅はインドのエキゾチシズム、シャンソン、クールジャズ、アラブのストリングス、中世の神秘主義といった危険で多彩な音世界を、まるで篩にかけた記憶で作られた風景の様に、貴方を楽しませながら彷徨っている。偉大なる発見! |