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●「Gnossienne #1」のあの緊張感には、そういう秘密があったんですね。「La
Cle」のエピソードもまた楽しいお話で、三宅さんからすれば「してやったり」と(笑)。しかし、あれも打ち込みだったとは・・・。
生と打ち込みの共存って、意外と多用されてるんですね。 |
◆生一発録りが大好きなので、できる限り一度に皆来てもらって、その場でしかあり得ない臨場感を記録したいと思っています。
ただ、全て生だけのトラックよりどこかに無機質なものが入ってる方が、ポストモダン的になるというか、その音場感の違いが「どこかひっかかる音楽」を作る気がします。 |
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●なるほど・・・。いつもハッキリと解かるわけじゃないですけど、曲中にどことなく感じられるその音場感の違い、「ひっかかり」の様なもの、これが私としても三宅さんの音楽の大きな魅力の一つです。聴く度に何かがひっかかって、それを分析したくてまた更に聴きたくなる・・・みたいな。 |
◆あと現実的な事情もあって、効率的にスタジオ・ワークを進めるためには、打ち込みパートをスタジオで生楽器に差し替えていくというやり方がどうしても多くなります。その際に試してみて結果が良かった方を採用したり、共存させたりしているわけです。
ストリングスなんかは予算的に呼べる人数が限られてくるので、計画的にダブルにする事もよくあります。 |
●そういう意味でも、共存させるのは別に打楽器だけとは限らないんですよね。
それじゃですね、同じ曲中に“共存”してるのと“共演”してるのではちょっと意味が違ってくるかもしれませんが・・・。
例えば先の「Rain Forest」では、メインのベースはシンセ・ベースで、オブリガード的に渡辺等さんのエレクトリック・ベースが聞こえるじゃないですか。
「プレイヤーが起用されてるのならそちらが打ち込みよりメインのはず」という、私の既成概念を壊されてしまうような、言い換えれば非常に贅沢なプレイヤーの起用の仕方で、私個人的にもすっごくわくわくさせられるようなケースが、三宅さんの音楽には多々見受けられるんですよね。
「Gnossienne #1」のお話にも通じると思いますが、生(各プレイヤー)と打ち込みの特徴を知り尽くした上で曲をお書きになる、三宅さんなりの哲学などお伺いできれば・・・。 |
◆既成概念が壊れるなんて、嬉しいコメントです。
「こんなのありかよー!?」っていうのって大事でしょ?お役所仕事じゃないんだから・・・もっとも最近はお役所や政治家の方がアーティストみたいですが(怒)。
さて哲学ってほどのものは無いのですが、全体像としてコントラストが強くて、遠近法が極端なものが好きなので、その都度客観的に聴いて、自分にとって欠落している要素を探しているうちに、妙なところに着地する傾向がありますね。
結果的にミュージシャンの方には、慣れない環境で演奏して頂いてることも多いかも。そんな場合、生の方々は打ち込みを聴きながら演奏してるので、共演って言ってもいいんだと思います。ミュージシャンを呼ぶときは、その音符よりも「その人らしい」音が欲しいから来て頂く、っていう事が大前提にあります。
ご指摘の等君のベースですが、まず一度譜面通りに弾いてもらいました。その結果、生き残るであろう打ち込みの打楽器の低域とベースとのマッチングを考えた時に、シンセと等君両方を合わせたくらい太いベースが必要だと感じたので、
「打ち込みも使うかも知れないから、シンセとユニゾンしながらミック・カーン的なフィルもお願いしまーす」
というKievさん好みのフレーズでやって頂いたと思います(※註)。ミックスでのバランスにはちょっと苦労しましたけどね。
この曲は、設計図通りと言うよりその場で出た音を聴いての判断だったわけですが、前出の「Gnossienne
#1」に関しては、2人のドラマーに同時録音でハイハット・バトルの火花を散らして欲しかった。しかもドラムセット使わずに単一楽器で左右に分かれて。
こういう贅沢は悪じゃないでしょ?
贅沢な音っていうのは好きです、とても。
註 : とおっしゃってますが(笑)、三宅さんもJAPAN時代からのミックのファンだそうです。
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――ありがとうございました!
三宅さんの音楽観やこだわりなど、非常に有意義且つ貴重なお話が伺えて、何より三宅さんこそが「音楽で伝えるべきこと」をたくさんお持ちの方なのだと深く理解させられた次第です。
各曲の制作の裏側のお話など、我々がCDを聴く上でまた新たな楽しみ方を見つけるのに役立つのではないでしょうか。
さて次回は、実際に共演なさっている各ミュージシャンの方々についてのお話を伺ってみたいと思います。 |
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